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移住者インタビュー

先輩先輩移住者にはどんな人がいるのか、どんな生活をしてなにを感じているのか。

当事者の声で、地域と移住のリアルを紹介いたします。

先輩移住者にはどんな人がいるのか、
どんな生活をしてなにを感じているのか。

当事者の声で、地域と移住のリアルを
紹介いたします。

2週間のつもりが、14年。大船渡市が自分の居場所になった

  • 1月14日
  • 読了時間: 7分

更新日:1月23日

⚫︎旅行会社勤務 中村純代さん




「気づいたら、『あれ? まだ帰ってないな』って思ったんです」


そう笑うのは、旅行会社に勤務しながら、みちのく潮風トレイルを歩くツアーなどを企画している中村純代(なかむら・すみよ)さん。中村さんのご両親は九州の生まれで、父親の仕事の都合で島根県・鳥取県で育ちました。


そんな中村さんと大船渡市の出会いは、2011年夏。リュックひとつで訪れた「たった2週間」のボランティア。これをきっかけに大船渡市で暮らし始め、いつの間にか14年が経とうとしています。



予定していた留学と、東日本大震災。


中村さんは、2011年4月からイギリスに留学する予定でした。東日本大震災が発生したのは、勤めていた会社を退職し留学の準備をしていた矢先のことでした。


「当時はフライトが全然飛ばなくなってしまって。『そもそも、イギリスに行けるかどうかわからない』という状況でした。結果からいうと、4月になんとか留学先に到着することができ、ぎりぎりでしたが語学力を上げるコースの入学日に間に合いました」。


3ヶ月間コースに通い、次の準備のために7月に日本へ一度帰国します。しかし、ビザを取るための手続きに必要な書類が間に合わず、9月に予定していた学校への入学ができなくなってしまいました。


イギリスへの留学計画の変更を余儀なくされた中村さんでしたが、空いた期間を使って、ボランティアとして活動するために東北へ向かうことにしました。




遠野市から大船渡市へ。仮設住宅で生まれたご縁


中村さんの東北での最初の一歩は、岩手県遠野市から始まります。個人のボランティアを受け入れていた遠野市のNPOを拠点に、沿岸部へ派遣されてさまざまなボランティアを経験します。中村さんはその中で、大船渡市の仮設住宅のコミュニティ支援プログラムに参加することになりました。


「当時は、仮設住宅のコミュニティ再生のために、お茶会を開くサポートをしていました。そこで初めて大船渡市の仮設住宅に入ったときに、迎えてくださった皆さんとすごく話が弾んだんです。お茶を飲みながら『これからこういうことをやりたい』といった話が次々と飛び出し、場がとても盛り上がりました」。


もともと2週間の滞在でボランティア活動の予定でしたが、「もう少しここにいたい」「この人たちと何か一緒にやりたい」という気持ちが膨らんだといいます。結局、活動期間を延長し毎日のように大船渡市へ通うようになりました。


「2週間のつもりが、14年になっちゃいました(笑)。被災地で自分にできることなんてないと最初は、思っていたんです。それでも何かできることがあればとは思っていて。仮設での活動を通じて『もう少しこの人たちと一緒にいたいな』という出会いがたくさんあって。滞在をどんどん伸ばして、気がついたら14年、そんな感じです(笑)」。




NPOでの活動から、キャッセン大船渡へ


ボランティア活動の日々は、決して楽しいことばかりではなかったそうです。つらい話、大変な状況にもたくさん向き合ってきましたが、その中でも「心のつながり」を強く感じる瞬間があったといいます。


ボランティアが終わるころには、『お世話になった人たちに恩返しがしたい』という気持ちがすごく強くなっていたと話す中村さん。留学という選択肢から、岩手への移住という選択に変わりました。


当時、任意団体だったNPOに入職し、これまでとは違う角度から地域に関わることになりました。充実した生活を送る一方で、2017年に現実的な壁に直面します。「収入の面で『このままではここで一人で暮らしていくのは無理だ』と痛感しました。当時暮らしていた仮設住宅はいつか出なければならないし、自分には家族もいない。外から来た一人暮らしの身として、仕事や収入の面で『一人で生きていける』状況をつくらないといけないと感じました」。


一度は大船渡を離れる決断をし、ベトナムでの仕事が決まっていたと言います。そんなときに「キャッセン大船渡が立ち上がるから、入らないか」と声がかかりました。


「正社員でしたし、『もう一歩進んで復興の手助けができるかもしれない』と思って、大船渡市に残ることを決めました。いくらこのまちが好きでも、自分を取り巻く環境や条件が整わないと、暮らしてはいけない。その現実も含めて、2017年は大きな転機の年でしたね」。

そこからの約6年間は、これまでお世話になってきた人たちと一緒にまちづくりに取り組むことができた、とても幸せな時間だったと振り返ります。常に自分のことを気にかけて見守ってくれる人がいて、孤独にならずに過ごせたことも、この地域の大きな魅力でした。

「よそ者だけど、『ここで年をとっても寂しくないかな』と思えたんです」。



「旅人」と「地域の人」が出会う場所をつくる


その後、中村さんは現在の勤務先である旅行会社へと転職し、「三陸ツアーズ」という地元専門のツアーを担当するようになります。


転職にあたって中村さんが考えていたのは、「地域が元気っていうのは、どこか1か所だけが元気でもダメで、みんなが元気じゃないといけない」ということ。復興に伴う需要がなくなり、地域経済が徐々に停滞していくことを中村さんは体感していたのです。


そのために自分は何ができるのか。中村さんがたどり着いた答えは、「旅人を増やすこと」と、「地域の人と旅人を出会わせること」でした。ボランティア活動の経験からも、いろんな人と出会って話をすることが、大きなきっかけになると肌で感じている中村さんならではの答えです。


現在は、地元の人たちと一緒にツアーをつくり、案内役として登場してもらうスタイルを大切にしているそうです。


「三陸海岸をつなぐ『みちのく潮風トレイル』がありますが、大船渡市内には77キロ分のトレイルルートがあり、それを10コースに分けて歩くツアーを毎月行っています。ただトレイルを歩くだけだと、人と関わらずに終わってしまうんですね。でも私は地域の人に会ってほしいので、途中で人と出会えるような仕掛けを作っています」。


面白いのは、このような仕掛けのツアーに参加した方は、ツアーで出会った人たちにまた会いに来てくれること。中村さんにではなく、地域の人に会いに大船渡を再訪してくれるその現象が、とても嬉しいといいます。




「移住」は、住民票を移すことだけじゃない


毎月そのまちを訪ねること。たまにでも「会いたい人に会いに来る」こと。そうした関わり方も、広い意味での「移住」だと中村さんは考えます。


「住民票を移すとか、行政上の縛りはいろいろありますけど、そうじゃなくても地域を元気にすることは、誰にでもできると思っていて。だから私は、『移住・定住』という言葉にあまりこだわらず、『旅人を増やしたい』と思っているんです」


その中から、10年後、20年後、30年後に大船渡に住む人が現れてもいい。 あるいは住まなくても、通い続けることで街とつながり続ける人がいてもいい。 大切なのは、「何度も訪ねて、会いたい人ができること」だと言います。


「何も知らないまま、ほとんど情報がない状態で移住するのって、実はとても恐ろしいことだと思うんです。表面的なことだけを見て決めるより、『何度も訪ねて、会いたい人ができてから』でも遅くない。もう一度会いたい人ができたら、それはもう、そのまちとのご縁が始まっている。私はそういうふうに考えています」。



●プロフィール

中村純代(なかむら・すみよ)/ 1971年3月31日生まれ。2011年4月にイギリス留学のため渡航するも、東日本大震災をきっかけに日本へ戻り、ボランティア活動に参加。大船渡市内の仮設住宅での出会いをきっかけに、NPOでコミュニティ支援に従事。その後、キャッセン大船渡の立ち上げに関わり、まちづくりの現場で6年間活動。現在は旅行会社で「三陸ツアーズ」を担当し、みちのく潮風トレイルを歩くツアーなどを通じて、旅人と地域の人が出会う場づくりに取り組んでいる。

休日の過ごし方:「トレイルやローカルツアーの実施の前は下見を兼ねて、ルートをウロウロしています。あとは天気が良いとついツアーに使う写真を撮りに海や山に行ってしまいます。完全に職業病ですね(笑)」


大船渡の好きな場所:綾里峠

「大船渡市林野火災で被災したエリアにある、古くからの峠道。昔の人たちが物資や海産物を担いで峠を越えていた歴史を感じられる場所。歩いていてとても楽しいトレイルルートです」


大船渡の好きな店:とよまるや

 「深夜になると、いろんな人が集まってきて、地域を知るには最高のスポット。店主さんが、いろんな人をつないでくれます」

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